僕の心の言の葉。

短い自作小説、作文のブログです。多くの人に言葉が届いてくれたら嬉しいです。

無題

特に何もありませんが、何もないため投稿を止めていました。今日ご飯上手いなぁみたいな些細な幸せと、何となく体調悪いとか、何となく上手く行かないみたいな些細な不幸を反復横跳びしていました。

本当に特に何もないんですけど、優れた人間ではないので、生きているだけで劣等感が募ります。自分が持ってないものを持っている人にはどうしても羨ましさを感じてしまうのです。

そんな折に一つだけ気づけたのは、自分はその劣等感から来る不満を文章にしたがる。ということでした。

なので思い出したしたように再開します。思い出したように創作します。

所謂発散の場なので明るい話は書けないかもしれません。でもそれでも良いんです。自分がしたいことをしてみようと思ったのです。

それだけなのです。

お時間の許す限りただの愚痴に付き合って頂ければ、そんなに幸せなことはないでしょう。

それでは。また。

『花粉病』2話

 1年後。薬が治験途中ながら完成した頃。花粉は突然変異を遂げた。1番の変異は繁殖力であった。花粉は人の技術を、数の力でねじ伏せようとしたのだ。そこからの人々は見るに堪えないものだった。完成された薬は破格の値段がつき、ブームに過ぎなかった移住が本格的なものへと変わった。国会ですら東京を捨て北海道へと移ったのもこの頃だった。日本人は花粉が多い地域を捨てたのだ。残ったのは花粉病予備軍ではないアレルギーが無い人。それに運が無く、薬も移住も出来なかった人々だった。花粉が多い地域が緑に覆われるのも時間の問題であったのだった…。


「ちょっと!またパソコンに向かってるの?そんな時代遅れの機器を使って。長官が呼んでるわ、早く行きましょ。」
後ろから声がした。集中し過ぎてしまった。私が文字を打ち始めてから約1時間半が経とうとしていた。
「すぐ行く!先行っててくれ!」
「私よりパソコンのが大切なのね!ふんっ」
私はパソコンのデータをUSBに移すと、シャットダウンを始めた。…先に行っておくが彼女は恋人ではない。相棒、バディというやつである。あの俺をからかう性格は直して欲しいものだと思う。
そうこうしてる内にシャットダウンが終わり、私は急ぎ足で長官室へ向かった。自慢ではないが私は他の人より早歩きには自信があるのだ。まぁ、どうでもいいことなのだが。なぜ長官に呼ばれたかはおおよそ見当がついている。正確に言えば内容の見当はついているのだ。
「確か予定は明日だったはずだけど…」
独り言を呟く内に長官室の前に着いた。縦にも横にも施設の中央に存在しているこの部屋は他の部屋とは違う緊迫感があるというものだ。私は唾を飲み込むと、長官室の戸をノックした。

 

 

続く。

 

あとがき:少し日が空いてしまいましたが、2話でございます!正直なところ大きな展開は頭の中で決めてあるのですが、その間の細かな部分に苦戦しております(苦笑)簡単な次回予告としまして、長官室で話されることとは!そもそも登場してる人はどんな人?というところを読者の方にも考えてお待ち頂ければ幸いです。

それではまた別の文章で。

『想像力豊かな少年のお話』②

 僕は雨が嫌いです。まるで昨日まであんなに晴れやかな顔をしていたお空が泣いてるように見えるんだもの。

「どうして泣いているの?」

僕はお空に聞きました。お空は何も答えてくれません。ずっとずーっと涙を流しているばかり。

「話してくれなきゃ分からないよ。僕はお空さんに笑っていて欲しいだけなんだ。」

お空さんは僕の話を聞いてくれません。ただただ涙を流すばかり。だんだん僕も悲しくなってきました。

 そんな時悲しげな顔の僕を見かけたお母さんが僕に言いました。

「お空はね、悲しくて泣いているんじゃないのよ。お母さんも、僕君も毎日お水を飲むでしょ?お空さんは私達にお水をあげるねって、こうして時々私達にお水をくれるのよ。」

僕は思いました。お空さんは僕やお母さんのことをいつだって見守ってくれてるんだなって。無口で、耳は良く無いのかもしれないけれど、それでもとっても優しくて、広く見守ってくれる目を持ってるんだなって。

  少し経って雲の切れ間に光が差しました。まるで「目」を開いて空が目を覚ましたようでした。みるみるうちに黒い雲は消え去って、昨日と同じ晴れやかな空へと変わりました。先程まではどこかに隠れていた小鳥たちも光とともに歌い出したようです。

 そう考えると、さっきの水はお空が寝てる時によだれでも垂らしたのかな。僕はお母さんに内緒で明日からはお水じゃなくてお茶を飲もうかなと思うのでした。

 

 

あとがき:一瞬間ぶりになってしまいました!(申し訳ないです。)少年のお話の2話を書かせていただきました。少年は小学校低学年をイメージして書いているのですが、素直だけど素直じゃない微妙なくらいを出すのが難しいと、個人的に感じています(笑)もう少し更新が早く出来るように頑張ります!それではまた別の文章で。

『花粉病』1話

 時は2×××年。現在の地球では科学や医療が発展し、機械化や自動化が過去の人々が頭に描いたものが現実となっていた。そのため、人類の寿命はさらに延び高齢化がより問題となるだろうと思われた。しかしである。そうはならなかった。勿論先述したように医療は発展し、脳に関するもの、心臓に関するもの、これまで難病と言われていたものの特効薬が次々と開発された。先程の言葉を少し訂正しよう。人類の寿命は少なからず延びた。しかし平均寿命は変わらなかった。発展途上国は医療の普及により特に大幅な進歩を遂げた。その分寿命を下げた国がある。その国こそ、何を隠そう日本なのである…。これは、私たちが大きな脅威と戦うことを後世に伝えたいが故の物語なのだ。

 それは突然のニュースだった。
「花粉症により子供が死亡。」
花粉症ということで、世間でもそこそこ大きく取り上げられた。花粉症というのは所謂アレルギーである。死因は強度のアナフィラキシーショック。つまり蜂の毒などで死んでしまうのと同じ原因とのことだった。しかし、蜂に刺されるのとは訳が違う。この文を読んでいる貴方にも考えてみて欲しい。蜂に刺された事がある人と、花粉症の人はどちらの方が多いか。多くを語るまでもない。明らかに後者なのである。
この地獄の始まりとも言える事例から今に至るまでの話をしよう。子供が死亡してから半年感は何も無かった。何も無かったというのは、良いことではない。寧ろ私達の意識からその事が消え去って行くのには十分過ぎたのだ。今考えるとこの間に花粉は更に力を強めていたのかもしれない。

 そして忘れもしない、20××年。花粉によるアナフィラキシーショックで各地で人が倒れた。花粉症と言うと症状として思い起こすのは鼻水と目などの痒みが思い当たるのがこれまでだった。…倒れた人たちは鼻水の代わりに血を流した。目を掻けば血涙が流れた。死因がアナフィラキシーショックと共に失血死が加わったのである。
 そこから目まぐるしい人と花粉との戦いが始まった。毎日、人が血を流しながら次々と倒れた。今までの薬では気休めにしかならなかった。花粉予防が国から推奨され、花粉症は花粉病と名を変えた。被害が減少はしていったものの、この頃から私達は春先の日中への外出を奪われた。お花見が自殺方法に加わったのもこの頃だろうか。花粉対策グッズの売り上げと北海道を始めとする花粉が少ない地域への移住がブームとなった。

 

 

続く。

あとがき:読んで頂きありがとうございます!察して頂けるかも知れませんが、所謂ちゃんとした小説としてのシリーズものをスタートさせて頂きます。精一杯描かせて頂きますのでよろしくお願いします。それではまた別の文章、そして第2話で!

『とある19時15分に』

 人が右へ左へと流れていく。私はただ一人で立ち竦み、その人の波に困惑するばかりだった。スーツ姿の男性。笑顔だ。これからデートでもあるのだろうか。大きな荷物を持った女性。これからどこか旅行へでも行くのだろうか。全ての人に何かしらの物語があるとは正にその通りだと思う。いつもの私ならそう思うだろう。でもここは何か違う。

 慣れ。確かにその一言で片付けてしまうのは簡単だろう。しかし私だって人混みに不慣れという訳では無い。田舎に居た私だが、都会にも遊びに出るようになり、人が多いというだけで躊躇うようなことはあまり無かった。

 ここは言うなれば海だった。私の目の前を通り過ぎて行く人は多種多様な魚である。それは時に同じ様な格好をして、群れというに相応しかった。群れと言うと最初に思い浮かべるのは鰯である。鰯の群れは大きな魚へ対抗する為に作られる。私の目の前を通り過ぎて行く人達も社会という大きな魚へと立ち向かっているのだろうか。

 普段ならそれで終わりだ。ちょっと上手い例えが浮かんだなと小さな自画自賛をして終わり。そんな私である。しかし、今の私は違った。私が何であるか上手く例えることは出来ないが、頭にパッと浮かんだのは海藻だった。人の波に漂う。魚と交わることは無い。だからいつもと同じ思考が持ちきれない。

 でも違う。違うのだ。そんな自由な状況ではない。鰯の群れに気後れをする。私はどうしたら良いのかが分からない。私は何なのだ。そんな時だった。

「ごめん!遅くなった!」

聞き覚えのある声だった。その声を聞いた瞬間に、私は小さな鰯の一匹になったのだった。

 

 

あとがき:前回の投稿より日が空いてしまい申し訳ないです。皆様は待ち合わせの時、どんなことを思うでしょうか。早く合流したいと思いませんか?無事合流出来ると安心しますよね。合流しないと何も始まらない。そんな無力な一時が伝わって頂ければ幸いです。それではまた別の文章で。

 

『全てを言うのは難しい』

 頂きます。私は手を合わせて小さく呟き、一口目を口へと運んだ。美味しい。私はそう思った。しかし、美味しいだけでは具体性がない。どんな味がするのか。どんな匂いがするのか。そういった細かく感じた要素が集まって、私達は美味しいと思うのである。ただ、食べる度に一つ一つ細かく言う訳にもいかない。そう考えると美味しいとはとても便利な言葉である。

 

 ある時、私が外でご飯を食べていると隣のテーブルから声が聞こえた。

「この料理やばいね!」

…やばいとは何だろうか。勿論この時に隣から聞こえたやばいは、美味しいという意味なのだろう。何だろうと感じたのは、やばいという言葉が多種多様な場面で使われていることにである。嬉しい時も悲しい時も、楽しい時も辛い時も、全てやばいで通じてしまう様な状況になっている。

 私はそれはそれで構わないのではないかと思う。美味しいは具体的な言葉をまとめた言葉だ。その美味しいという言葉を始めとした、抽象的な言葉をさらにまとめた言葉がやばいなのだろう。語彙力という言葉がある。全てをやばいという言葉で片付けてしまうのは語彙力が低いと言えるかもしれない。だからと言ってそれが駄目と決めつけるのはおかしい話である。便利なものは物であっても言葉であっても使いようである。頭の中に細かく感じた要素が有るのなら。それならやばいもやばくないだろう。

 余談だが、本当に危険で「やばい」と思った時はどうするのだろう。私の考えとして、この場ではある芸人の言葉を借りようと思う。皆きっとこういうはずだ「やばいよやばいよ。」と。

 

 

あとがき:今回は最近思うことをテーマにしました。皆様はどう思うでしょうか。私はやばいという言葉を聞く度にある芸人を思い出していました。だからこその今回の文という訳なのです。それではまた別の文章で。

『想像力豊かな少年のお話』①

 僕は広大な高原の中に居ました。草が青々と生い茂り、空には綿飴の様に柔らかな雲が漂っています。

 遠くの方に羊の群れが有りました。ここからでは正確な数は分からない程の大きな群れです。良く見ると柵が有ります。しかしすぐには気づかない程の低い柵でした。

 羊が1匹、また1匹と柵を飛び越えていきます。僕は自然とその数を数えていました。数えた羊が30を超えるころ、1匹の羊が飛べずに柵にぶつかりました。羊はぶつかった衝撃でよろけました。すぐには立ち上がりません。僕は心配になって近寄ろうとしました。すると。羊はよろよろと立ち上がり柵から少し距離を取りました。僕は立ち上がった羊に目が離せません。その羊の目は強く生き生きとしており、諦めるという言葉など忘れてしまった様な目をしています。羊は再び走り出すと柵を飛び越えようとします。再び柵にぶつかりました。羊は先程より早く立ち上がり距離を取ると直ぐに挑みます。何度もぶつかり、その度に何度も立ち上がりました。僕はその光景に他人事の様には思えなくなっていました。羊は今まで以上に早いスピードで柵に突っ込んでいきます。

「頑張れ。頑張れ!」

その時。一筋の風が高原に吹き渡りました。爽やかな、春を感じる風。羊は風を受け大きく飛び上がりました。

「メェーーー!」

 

 次の瞬間、僕は布団の上に居ました。いつもと同じ時間です。ぐずぐずしている暇はありません。早く準備しなくちゃ。僕は歯を磨きながら先程の羊のことを考えていました。あの羊は何だったのだろう。それでも僕はなぜか誇らしい気持ちでした。今日も僕の1日が始まります。

 

 

あとがき:眠れない時に皆様はどうしますか。人にもよることと思いますが、私は羊を数えたりするのです。朝起きた時には何匹羊を数えたのかなんてすっかり忘れてしまっているものです。それがとても不思議に感じるのです。この「僕」の物語は他にも書けたらなと思います。読んで頂き有難うございます。それではまた別の文章で。