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僕の心の言の葉。

短い自作小説、作文のブログです。多くの人に言葉が届いてくれたら嬉しいです。

『全てを言うのは難しい』

 頂きます。私は手を合わせて小さく呟き、一口目を口へと運んだ。美味しい。私はそう思った。しかし、美味しいだけでは具体性がない。どんな味がするのか。どんな匂いがするのか。そういった細かく感じた要素が集まって、私達は美味しいと思うのである。ただ、食べる度に一つ一つ細かく言う訳にもいかない。そう考えると美味しいとはとても便利な言葉である。

 

 ある時、私が外でご飯を食べていると隣のテーブルから声が聞こえた。

「この料理やばいね!」

…やばいとは何だろうか。勿論この時に隣から聞こえたやばいは、美味しいという意味なのだろう。何だろうと感じたのは、やばいという言葉が多種多様な場面で使われていることにである。嬉しい時も悲しい時も、楽しい時も辛い時も、全てやばいで通じてしまう様な状況になっている。

 私はそれはそれで構わないのではないかと思う。美味しいは具体的な言葉をまとめた言葉だ。その美味しいという言葉を始めとした、抽象的な言葉をさらにまとめた言葉がやばいなのだろう。語彙力という言葉がある。全てをやばいという言葉で片付けてしまうのは語彙力が低いと言えるかもしれない。だからと言ってそれが駄目と決めつけるのはおかしい話である。便利なものは物であっても言葉であっても使いようである。頭の中に細かく感じた要素が有るのなら。それならやばいもやばくないだろう。

 余談だが、本当に危険で「やばい」と思った時はどうするのだろう。私の考えとして、この場ではある芸人の言葉を借りようと思う。皆きっとこういうはずだ「やばいよやばいよ。」と。

 

 

あとがき:今回は最近思うことをテーマにしました。皆様はどう思うでしょうか。私はやばいという言葉を聞く度にある芸人を思い出していました。だからこその今回の文という訳なのです。それではまた別の文章で。